セレンディピティは「差異や違和感を感知する力、その力を準備するだけの長く深いこだわりや思考の時間、そして旺盛な好奇心・探求心。」 と書きました。
”賢さ”にも色々ありますが、セレンディピティに出会う力も、賢さのひとつの現れでしょう。
チャンスを感知しつかみ取る能力としてみれば、それは訓練で得られるかもしれないと思うわけです。
知の巨人、外山滋比古先生も、セレンディピティを、「探しているものではない、思いがけないことを発見する能力のこと」と書かれています。
つまりセレンディピティの前提は「探し求めること」 となります。
”賢さ”は英語で “Sagacity”。
この語の発音が、”探して” と聞こえるのはセレンディピティでなくただの偶然なのでしょうか?
※ なんとなく参考本
「乱読のセレンディピティー」 外山滋比古 https://amzn.to/2SQpgw1
~科学的発見で多く見られるセレンディピティが、どうしたら人文系で起こせるか、乱読によってである、と書かれています。乱読によってタコつぼから出る、という効用だけでなく、ことばより早く読むことによって、ことばの残像がオリジナリティの場となる可能性があるということでしょうか。
「風のように早く読め。」