セレンディピティをAIで創る

セレンディピティを技術で創り出し、チャンスをつかむ機会を増やすことができるでしょうか?そんな大それたことが。
それはある程度可能だと考えています。情報や芸術との出会いの領域においては。

カギは領域成熟度の把握とそれに応じた適切な振り方・振り幅の設定です。要するにコンテンツの捉え方と距離の個人化です

同じ領域にあるモノの差異が感じられたら、その領域において成熟した証拠。

違いがわかる男のゴールドブレンド」ってやつです。(そういえばいつの間にかCMから消えてなくなりましたね。)

AIにおける知識構造はセレンディピティのネタの宝庫なはずです。 極端に細やかな差異と距離まで見出せるからです。
特徴量の範囲で、という限定付きですが(これについては本質的なのでまた別の回に)。

問題はそれが意味のある差異なのか?意味判断のできないAIにはそれを感知できません。

意味を見出すのは人間です。

AIが作った意外な関係性を、意外だけれど意味あるものとして理解できるほどに成熟しているか?

その成熟度判定をパスした人に対して、セレンディピティのチャンスを増やすことは可能と思うわけです。

セレンディピティとAI

 “セレンディピティ”は「偶然の幸運な出会い」という意味合いで使われることが多いようです。

しかし同じ偶然の出会いでも、大半の人はその価値に気づかず見過ごしてしまいます。一方、セレンディピティが世紀の大発見につながる例もよく聞きます。(ニュートンの万有引力、フレミングのペニシリン、クリックワトソンのDNA二重らせんモデル、など多数)

「見過ごし」か「発見」か、その二つを分かつ違いこそが重要で、それは差異や違和感を感知する力、その力を準備するだけの長く深いこだわりや思考の時間、そして旺盛な好奇心・探求心。

 そう考えると実はセレンディピティこそ、選ばれし人にのみ訪れる、偶然に見える必然、ともいえるのではないでしょうか。(実際、発見というものは、繰り返し同じ人に、起こるものらしいですよ)

「チャンスの女神は前髪しか見せない」×「天は自ら助くる者を助く」的なもの。

訪れた瞬間に感知しきる能力。決して周囲の演出によっては作り出せない、その人の内面に依拠する出会い。

偶然性があるとするとそれは、ちょうど良いときにちょうど良く出会うという点ですね。ちょうど良い、これは外的状況だけでなく内的コンテクスト、つまり心の余裕度のようなものも含むでしょう。その意味では、確率をあげるには、心に余裕があり、そしていろんな場に顔を出すという行動と切り離せないのかもしれません。

いわば世の中への向き合い方に依存することになります。

となると、これはある程度は訓練できるもの、つまり教育の対象ではないでしょうか?

セレンディピティを技術で創り出し、あるいは人側をサポートし、チャンスをつかむ機会を増やしたい(トートロジーのようにみえてちょっとメタ)。そんな大それたことをいつも考えています。

人を豊かにするAIの一つの在り方だと思うからです。

 

「発見とは、誰もが見ていることを見て、誰も考えなかったことを考えることである」アルバート・セント-ジェルジ

※セレンディピティは、セレンディップ(スリランカ:旧セイロン)の3王子が「偶然と洞察力によって、探してもいないことをいつも発見し続けた」ということから生まれた単語だという。

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