AIが人の仕事を奪う、という話は、技術面、経済面、そして生活面でも長く議論されてきています。しかし見過ごされていることがあるように思います。それは人類の発展の側面です。
現在のAIは主に効率化・自動化で適用が進み、職人芸まで含めて人の業務を置き換えつつあります。しかし現状それはあくまで、今までの価値観のもとでの作業の置き換えに過ぎません。
人は空いた時間をより高次の意思決定や新たな領域の創造に使うのだ、とはよく言われます。歴史を振り返れば確かに、その証はいたるところに見出せます。馬車をガソリンエンジンが置き換えた結果、巨大な自動車産業が生じ、IT化・モーター化・AI化のおかげで自動運転となってやがて空を飛ぶ。また銀塩写真をピクセルが置き換えた結果、加工可能な高精細写真となり、AIによる認識が人の能力を超えて、世に存在しない人の顔が語り始める。このような想像を超えたインパクトがまた別のインパクトに繋がるという、技術的には非常に楽しい連鎖が生まれ、そこに新たな巨大な働く場を提供してきました。
しかし今回は、より広範な業務、難易度での置き換えがおこることによって、人の働く場が想像以上に早く縮小することを予想します。
まず労働移動先である高次の知恵の領域でしのぎあいが生じる、これは良いことです。その中で一部の人が新たな産業を創出し、その産業への労働移動が生じますが、その場はもとより効率性の側面でAIの場として現出するはずです。
人類にとって深刻なのは、多くの知恵の発露としての働く場が、人でなくAIの活躍の場となることです。
AIが現価値観による作業の効率化だとすれば、これは極めて憂うべき状況と言えるでしょう。その価値を超えた価値創出は細々としか進まず、そこもやがてAIによる効率化が進み、価値は都度凍結される。
その帰結として、産業創出のスピードはやがて鈍るでしょう。人とAIの共創が起こらないからです(ここは議論があるところでしょう)。
働く場がAI化されること以上に、新産業が興らないために、多くの人にとっての労働移動先がなくなる、という恐れがあるわけです。
価値の固定化は種の衰退へと繋がるでしょう。
非凡な発想は数多の凡才の努力と社会の空気の上に現れる。 AI化社会において、人類は効率化に負けない新たな価値を創出し続けられるでしょうか?
現状、私には二つの解しか思いつきません。
ひとつめは「Human In The Loop」のアプローチが良いバランスで産業に根付くこと。従来社会の延長での発展が望めるかもしれません。
ふたつめは、汎用AI(AGI)の出現です。出現すれば、人同士かのように知恵の交換ができ、彼/彼女らが人の産業や文化の発展に貢献してくれるのかもしれません。しかしこちらによる発展があるとすれば「人類」の定義を変えることになりそうです。